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櫻木神社 御由緒・起源
野田市、櫻木神社の御由緒は平安朝、藤原嗣良公(藤原鎌足公五代の後胤で、冬嗣公三男)が、この地に居を移した時、この処に桜の美しい大木があり、これの木のもとに倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀り、その後武甕槌命(たけみかずちのみこと)の神を祀ったのが始まり。
宮司家社家文書によれば、この地は古くには「桜木村」と呼ばれ、後に「桜台村」となり、桜が咲き誇る美しい里との記載があります。
サクラの「サ」は早苗や早乙女、皐月などの「サ」と同じく、稲に関係し田の神さまである稲霊を表します。
「クラ」はその稲霊が鎮まり座す場所を表します。つまり桜は神の依代(よりしろ)となる木です。山から田の神が桜の木に降臨し豊作をもたらし見守ります。
櫻木神社 御祭神・御神徳
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
【富貴・財運の神・食物全般の神】
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
【勝運、開運の守り神】
伊弉諾尊(いざなぎのみこと) ・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
【夫婦神(生命の祖神・男女良縁の祖神)】
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と表記。
素戔嗚之男命(すさのおのみこと)と神大大市比売との間に生まれた子とされる。
『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の間の子として食物の神を生もうという意思によって誕生とある。
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
日本神話で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生(けしょう)した神。
経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、葦原の中つ国に派遣され、国譲りの交渉に成功。
また、神武東征においても、天皇の危難を救った。鹿島神宮の祭神。
「武」は武勇を表し、「甕槌」は御雷(みかづち)の意で、文字通り「神鳴り」に比せられる猛々しさを表す。
武勇・戦勝・勝運の神としての信仰。開拓・平和外交の神としても崇められている。藤原氏の氏神でもある。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
天地開闢において神世七代の最後に伊邪那岐命は伊邪那美命とともに生まれた。
そして高天原の神々に命ぜられ、海に漂っていた脂のような国土を固めるべく、天の浮き橋から天沼矛で海をかき回し、出来上がった淤能碁呂島にて伊邪那美命と結婚した。
国産み・神産みにおいて伊邪那美命の間に日本国土を形づくる多数の子を儲ける。
その中には淡路島をはじめ大八洲(本州・四国・九州等)の島々、石・木・海(大綿津見神)・水・風・山(大山津見神)・野・火など森羅万象の神が含まれる。
櫻木神社へ夏詣・茅の輪くぐり
野田市の櫻木神社はお祀りしている神様も多くとても境内が広いですが、とてもきれいに掃き清められていて、空気が清らでとっても居心地のよい神社です。
美しい櫻の大木の元に神を祀ったのが始まりであると伝えられている通り、櫻の木が30種類、400本が植えれれており、ほぼ一年中桜の花が見れます。
今回は夏詣で伺いましたが、神門には七夕飾りが出迎えてくれ、境内には多くの風鈴が結ばれており、涼やかな音色が響いていました。
夏越しの祓の茅の輪、まだありました!
茅の輪くぐりとは、参道の鳥居などの結界内に、茅(ちがや)という草で編んだ直径数メートルの輪を作り、これをくぐることで心身を清めて災厄を祓い、無病息災を祈願するというものです。 日本神話のスサノオノミコトに由来するといわれ、唱え詞「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」を唱えながら8の字に3度くぐり抜けます。
厄玉に息を吹き込み、ケンケンパをして 厄玉を石に投げつけ砕いて悪気や厄気を祓うことができるというコーナーもあったりちょっとしたテーマパーク気分で楽しめるパワースポット。
御朱印、絵馬・おみくじなどはサクラのデザインが取り入れられていてとってもカラフルです。
川屋神社(トイレの神様)
野田市、櫻木神社の特徴の一つは川屋神社(トイレ神社)が祀られています。御祭神は埴山姫神(はにやまひめのかみ)です。
トイレをいつもきれいに掃除し厠の神様をまつり、お参りをすれば美人になり、美しい子供が産まれるとの言い伝えも。
参拝者のトイレに川屋神社がお祀りされています。トイレとは思えないほどきれいに清掃されており、とても居心地のよい空間です。トイレ掃除って大事だな!毎日掃除しなきゃっ!って参拝させていただく毎に思います。
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