400年以上続く「山王祭」で有名な赤坂日枝神社へ初詣 | さあ、出かけよう!パワースポットへ!!

400年以上続く「山王祭」で有名な赤坂日枝神社

東京都
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赤坂 日枝神社は日本三大祭り(祇園祭・天神祭・山王祭)及び江戸三大祭り (山王祭・神田祭・深川八幡祭)に名を連ね、東京赤坂に鎮座している。古くは江戸山王大権現と称され、江戸時代300年を通じて崇敬されていた神社でもあります。
日枝神社のご祭神、大山咋神(おおやまくいのかみ)は山・水を司り、大地を支配し万物の成長発展を守護するといわれており、厄除け、安産、縁結び、商売繁盛、社運隆昌の神として崇敬されています。
基本情報
神社名 :日枝神社
住所  :東京都千代田区永田町2丁目10番5号
電車でのアクセス
地下鉄(千代田線)赤坂駅(出口2)徒歩3分
地下鉄(南北線・銀座線)溜池山王駅(出口7)徒歩3分
地下鉄(千代田線)国会議事堂前駅(出口5)徒歩5分
地下鉄(銀座線・丸の内線)赤坂見附駅(出口11)徒歩8分
開門時間:開門午前6時~午後5時

Contents

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赤坂 日枝神社:御由緒

武蔵野開拓の祖神。江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、1478年、江戸城の守護神として川越日吉社から大山咋神を勧請して繁栄の礎を築く。
1590年徳川家康公が江戸に移封され、江戸城に居城してからは「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、江戸市民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として崇敬されてきました。
2代秀忠公の時、城内より社地を城外に定め、社殿を新築し遷祀。(今の国立劇場付近)1657年大火で社殿が消失。4代将軍、家綱公が現在の地に社殿を造営、遷祀。

明治以降は皇居の鎮守とされてきました。昭和20年に戦禍に遭い、稲荷神社を残し消失。昭和33年社殿が完成。昭和53年、500年を祝する式年大祭が行われ、宝物殿建築、社殿修復、境内整備が実施され現在に至る。

山王祭:日枝神社公式ホームページより

神幸祭の行列ルート

赤坂 日枝神社 山王祭(神幸祭)

将軍家の産土神として江戸300年を通じて東都第一の社として崇敬されました。1604年三代将軍家光公が城内にて誕生されてから、「我誕生所之霊神」として篤い信仰を寄せました。
日枝神社、山王祭りは二代将軍秀忠公の元和2年(1616年)からといわれています。

寛永12年(1635)家光公が城の楼上にて神幸行列を御覧になり、これが将軍上覧の最初です。以後、将軍の上覧は江戸時代を通じて恒例となりました。祭礼に係わる費用を幕府より支出したことから「御用祭」といわれていました。

日本三大祭り・江戸三大祭りのひとつ。東京都心を300mの祭礼行列が練り歩きます。総勢500人からなる現代の王朝絵巻は圧巻です。

・日本三大祭り 祇園祭(京都:八坂神社)/天神祭(大阪:天満宮)/山王祭(日枝神社)
  ・江戸三大祭り 神田祭(神田明神)/深川八幡祭(富岡八幡宮)山王祭(日枝神社)
  ・神幸祭は隔年開催<次回開催は令和4年6月予定>

赤坂 日枝神社 山王祭(山王嘉祥祭)和菓子のまつり

6月16日は「嘉祥」(かじょう)といい、仁明天皇(848-851)が848年、神託により、16種の神供(餅、糖菓子、水菓子)を献じ、疫病退散を祈願したのが始まりと言われています。

嘉祥菓子は、鎌倉時代に始まったと言われ、江戸時代には嘉定(祥)通宝の嘉通が勝つに通じる縁起から、嘉定通宝16文で食物を求めて食し、これを「嘉祥の御祝儀」と呼びました。
この行事は武家の年中行事として広まり、徳川将軍家ではこの日、大名や旗本を江戸城大広間に集めて謁見し、嘉祥菓子を賜りました。これを「嘉祥頂戴」と言います。

6月16日が山王祭期間中に当たることから「嘉祥祭」を行い、「伝統の和菓子」を神前に献じ、万民の「疫難退散」と「健康招福」を祈った。

当日は、東京和菓子協会の技術者が「菓子司」として神前にて和菓子(煉切)を作り奉納します。
全国和菓子協会では1979年から嘉祥の行われた 6月16日を和菓子の日と定め、さまざまな行事を行っています。

赤坂に本社を置く老舗虎屋では幕末頃に御所へお納めした七種類の嘉祥菓子をはじめ嘉祥饅頭や嘉祥蒸羊羹を6月16日に販売しています。

左:日枝神社 通常御朱印/中央:日枝神社 復刻御朱印/右:猿田彦神社 御朱印

猿をモチーフにしたお守り・他

上下:御朱印に付いてくるケースとしおり/中央:公式キャラクター「まさるくん」のマスクとマスクケース

赤坂 日枝神社 御祭神 御神徳

御祭神 :大山咋神(おおやまくいのかみ)

オオヤマクイノカミはオオトシノカミ(穀物の守護神)の子でスサノオの孫。オオヤマクイノカミはもともと比叡山の山の神(地主神)で、『古事記』では、近江国の日枝山(ひえのやま、後の比叡山)および葛野(かづの、葛野郡、現京都市)の松尾に鎮座し、鳴鏑(なりかぶら)を神体とすると記されている。

名前の咋(くい)は杭を表し、大山に杭を打つ神、すなわち山の所有者を意味し、山の地主神であり、農耕(治水)を司る神とされている。

カモタケツヌミ(八咫烏ヤタガラス)の娘・タマヨリヒメが、鴨川の上流から流れてきた丹塗りにぬりの美しい矢を拾い、それを寝床に飾っておいたところ、タマヨリヒメは解任し、男の子が生まれました。

この矢の化身がオオヤマクイノカミです。生まれた子は富登多多良伊須須岐比売(ホトタタライスケヨリヒメ)は、後に神武天皇に見初められ結婚します。

御神徳

厄除け、安産、縁結び、商売繁盛、社運隆昌

上:本殿/中央左:神門 中央右:「皇城之鎮」(こうじょうのしずめ)の扁額/下:神猿像

赤坂日枝神社に設置されている神猿像(しんえんぞう)について

一般的に神社は狛犬ですが、赤坂日枝神社には神猿像があります。
なぜ猿なの?
日枝神社は滋賀県日吉大社の神様をお祀りしています。日吉大社が鎮座している比叡山には多くの猿が住んでいます。猿は昔から神様と人間のあいだをとりもつ存在として、山の守り神として敬われています。

木や生き物を生み出し育て、発展させると伝えられていて「商売繁盛」や「社運隆昌」にご利益があると言われている。

猿は「さる」という音から勝る(まさる)」「魔が去る(まがさる)」とも考えられ、勝運の神や魔除けの神として境内に安置されています。

音読みの「えん」という音から、猿が「縁(えん)」を運んできてくれると考え、商売繁盛や縁結びにも御利益があります。

夫婦一対の神猿像で向かって左が子猿を抱いたメスの神猿像(縁結び・子授け・安産)、向かって右がオスの神猿像。(商売繁盛・社運隆昌)

鈴木慶雲氏の作、昭和42年に奉納されました。

A:西参道/ B:表参道 /C:裏参道

A:西参道の山王鳥居  階段を上ると、千本鳥居、山王稲荷へと続きます

B:表参道の山王鳥居

C:参道の山王鳥居:向かって右側がエスカレーターとなります

 

山王稲荷神社の千本鳥居

 

赤坂 日枝神社 山王鳥居・千本鳥居について

 

◆鳥居は人間の一般社会と神様の領域を区切る結界をとしての役割があります。

◆日枝神社の鳥居はほかの神社ではみられない、山の形をしており、山王鳥居と呼ばれています。
表参道・裏参道・西参道の3か所に設置されているます。

山王鳥居の特徴は、明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしていて、仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているとされています。

◆千本鳥居は現世から神様のいる幽界へと続く門として多くの鳥居が建てられたのが始まりとされています。
鳥居を奉納することによって、願いが「通る」という語呂合わせから生まれた信仰。

願いが通るたびに、鳥居を大きなものに変えて奉納する風習もあるといわれます。

◆千本鳥居は何故朱色?

朱の原料の(水銀+丹)は木材も防腐剤として使われており、朱色は魔力に対抗する色とされているため、災厄を防ぐ色として宮殿や神社仏閣に多く用いられてきました。

京都の伏見稲荷が鎮座する稲荷山には1万基の鳥居があるそうです。
東京の根津神社境内、乙女稲荷の千本鳥居は北から南に抜けると邪気が祓われるそうです。

上:末社 山王稲荷神社・八坂神社・猿田彦神社/ 下:狛犬

赤坂 日枝神社 境内にお祀りされている社【末社】

山王稲荷神社

御祭神:倉稲魂神 / 例祭:4月下旬 午の日
稲荷の大神は古来、生成発展・商売繁昌の守り神として全国に祀られ、ここ永田馬場星が岡の地主神として松平主殿頭忠房の邸内に祀られ、特に火伏せの信仰が篤く、萬治2年4月本社山王権現が麹町より移遷されるに至り境内末社となった。(境内由緒書きより)

八坂神社

御祭神:素盛鳴神 / 例祭:6月7日
日枝大山咋神の祖父神、もと京橋南伝馬町の牛頭天王として、三ヶ町の鎮守で大伝馬町、小舟町と並び江戸三天王と称された。明治19年7月、末社猿田彦神社内に相殿神として奉斎された。今に祇園八坂信仰は商業・農業の守護神、病気退散の信仰が篤い。(境内由緒書きより)

猿田彦神社

御祭神:猿田彦神 / 例祭:初庚申の日 
萬治2年、御本社山王権現と共に奉祀されたと伝えられ御祭神は“道ひらきの神”として、また里俗の説に“山王のお使い”即ち神猿とも言われる。(境内由緒書きより)

赤坂日枝神社「皇城之鎮」裏鬼門について

赤坂日枝神社は皇居(昔は江戸城)の裏鬼門(南西)を守る神社で、神門には「皇城之鎮」(こうじょうのしずめ)の扁額が掲載されています。
日枝神社は江戸城の裏鬼門封じの為、川越の日吉大社から分祀され現在の地に移されました。

鬼門とは、陰陽道では、北東の方角は邪気が入ってくる方角「鬼門」といわれており、同じく「裏鬼門」とよばれる南西の方角も、邪気の通り道とされるために縁起が悪いとされている。

江戸幕府を開いた徳川家康の宗教政策のブレーンであった天海僧正は、鬼門に寛永寺(東の比叡山の意味。平安京にならって、江戸の鬼門封じを担う)

裏鬼門に増上寺(二代将軍秀忠公を増上寺に葬って徳川家の菩提寺とした)・鬼門に神田神社(千代田区大手町付近から湯島に移した)・浅草寺(幕府の祈願所)を配置した。

 

上:手水舎 /中央右:銅製灯篭/右下:宝物殿

宝物殿

1978年に行われた江戸城内御鎮座500年大祭の記念事業として翌年に建設。
徳川家ゆかりの宝物を所蔵。
定休日:火曜日・金曜日/開館時間:10:00~16:00/入館料:無料

西参道に鎮座している狛犬

まとめ

今年も初詣は日枝神社へ!毎年元旦に日枝神社へ参拝させていただいています。今年は昨年までの元旦とは雰囲気が異なりました。午前9:00頃神社に到着しましたが、参道の人はまばら・・
表参道から階段を上り、いつもなら神門前には屋台が出店していますが、今年は屋台も出店しておらず閑散としていました。手水舎で清めてから神門をくぐると境内のレイアウトも異なっており、お守りを授与していただけるスペースはロープで仕切られ誘導され、蜜を避ける工夫がなされていました。お屠蘇(おとそ)も中止。日枝神社の楽しみは例年、夢御殿では雅楽が流れ神楽鈴を持った巫女さん達が歌舞(神楽)を舞っている姿が拝見できるのですが、それも中止の為、境内はとても静かでした。来年はいつもの賑わいが取り戻せているといいなぁ。と思いながら祈願してきました(^^)

東京都千代田区永田町2丁目10番5号

 

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趣味で訪れた神社・仏閣・パワースポットをコラージュ形式で紹介するブログです。 自然や季節を感じ取れるブログにしたいので、観光で訪れた名所・旧跡・景色・花や木々などの写真も入れて紹介しています。
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