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住吉大社の起源
仲哀天皇(第十四代天皇:在位192-200)の皇后(神功皇后)が三韓征伐の際、住吉三神の御守護により無事達成され、その帰途、摂津国西成郡田蓑島(現 大阪市西淀川区佃)に住吉三神を祀られたのが、大阪佃の住吉の社(現 田蓑神社)の起こりです。
佃島住吉神社の起源
佃島住吉神社の起こりは、大坂の佃の人々と親交を持っていた徳川家康公が関東下降の際、住吉の社の分神霊を奉載し住吉三神、神功皇后、を祭祀したのが起源です。
住吉神社(すみよしじんじゃ)は、主に住吉三神を祀る神社。日本全国に約600社あります。
御祭神
底筒之男命(そこつつのおのみこと)
中筒之男命(なかつつのおのみこと)
表筒之男命(うわつつのおのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)【神功皇后】
東照御親命(あずまてるみおやのみこと)【徳川家康】
住吉三神の起源
伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は国生みの神として大八島を生み、またさまざまな神を生みましたが、伊邪那美命が火之迦具土神(ひのかくづちのかみ)を生んだときに大火傷を負い、黄泉国(死の世界)に旅立ちました。
その後、伊邪那岐尊は、黄泉国から伊邪那美命を引き戻そうとしますが果たせず、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で、黄泉国のけがれを洗い清める禊を行った。
このとき、瀬の深いところで底筒男命(そこつつのおのみこと)が、瀬の流れの中間で中筒男命(なかつつのおのみこと)が、水表で表筒男命(うわつつのおのみこと)が、それぞれ生まれ出たとされます。
住吉神社 例大祭
住吉神社では3年に一度、例大祭が催されます。高さ18メートルもの6本の大幟(おおのぼり)が立てられ、氏子さんに担がれた神輿や山車が町内を練り歩きます。
神輿を船に乗せて 隅田川を巡る船渡御祭など、江戸時代から続く、とても風情のある伝統のお祭りです。歌川広重の名所江戸百景に佃しま住吉乃祭という浮世絵にも描かれています。
住吉神社 境内にお祀りされている社
境内には他、龍神社(病気平癒・開運出世・商売繁盛・諸芸上達)入船稲荷神社(五穀豊穣・産業発展)船魂神社(船体安全・大漁満足・航海安全)疱瘡神社・疫神社(流行病、疫病退散)古河神社(水辺の守護)が建立されています
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