随神門・御幸殿・神楽殿・双龍門・本殿などの歴史的建造物は風雨に晒られ続けながらも威厳と力強さとエネルギーを放っている。群馬屈指のパワースポット。
Contents
榛名山とは
群馬県にある上毛三山の一つ。古来山岳信仰を受けてきた山である。
山の南西麓に榛名神社が祀られている。
山頂にはカルデラ湖である榛名湖と中央火口丘の榛名富士溶岩ドーム(標高1,390.3 m)がある。
数多くの側火山があり、非常に多くの峰をもつ複雑な山容を見せている。
榛名神社の御由緒
起源
綏靖(すいぜい)天皇(前581-49)の時代に饒速日命(にぎはやひのみこと)の御子、可美真手命(かみまてのみこと)父子が山中に神籬を立て天神地祇を祀ったのが始まりといわれ、用明天皇元年(586年)に祭祀の場が創建されたと伝えられる。
榛名神社は延長5年(927年)に完成した 全国の主要な神社名を書きあげた『神名帳』には上野国十二社の群馬郡小社とし て榛名神社は位置づけられている。
記録に登載している神社は「式内社」と呼ばれ、格式の高い神社と考えられる。
古くから神仏習合が定着し、山中には九世紀ごろの僧坊とされる巌山遺跡がある。
中世
快良が承元四年(1210年)初代座主になり、 以来、関白道長の子孫が代々受け継いだと記されている。
座主が一山を支配。南北朝の動乱に連動した榛名山座主職をめぐる抗争により衰微の一途をたどっていった。
近世
江戸時代、天海僧正の手により復興された。
慶長十九年(1614年)「上野国天台宗榛名山巌殿寺法度之事」が出され、
以降、寛永寺の支配を受けるようになる。
近代
慶応四年(1868年)三月、神仏分離令が出され、、榛名神社として復活。
神仏分離令に引き続き、明治五年(1872年)修験宗廃止令により、呪術、祈祷が禁止された。
現在
権現造りの本殿をはじめ神楽殿、国祖社・額殿、双龍門、神幸殿、随神門などが国の重要文化財に指定されている。
矢立杉は国の天然記念物に指定。境内や参道には数多くの文化財や見所が多数点在している。
御姿岩(みすがたいわ)や九十九折岩(つづらおれいわ)、倉掛岩(くらかけいわ)、鉾岩(ぬぼこいわ)など奇岩奇景が多くみられます。
動画です⇒ 榛名神社動画
榛名神社 修復工事
榛名神社の修復工事は2017年度から2025年度にかけて群馬県内にある文化財の修復事業としては過去最大規模となる総額23億円をかけて百数十年ぶりに大修理を行っている。
17ー19年度まで:国祖社・額殿/20ー21年度まで:双龍門/21ー25年度まで:本社・幣殿・拝殿/23ー25年度まで:神楽殿の工事が予定されている。
今回の訪問では双龍門と額殿が囲いに覆われていました。
榛名神社 御祭神
火産霊神(ほむすびのかみ)
『古事記』では、火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)・火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ;加具土命)と表記。
『日本書紀』では、軻遇突智(かぐつち)、火産霊(ほむすび)と表記。
神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神。火の神であったために、出産時にイザナが火傷をし、これがもとでイザナミは亡くなってしまう。
怒ったイザナギに十拳剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」で殺されてしまう。
埴山毘売神(はにやまひめのかみ)
古事記によれば、伊邪那美神(イザナミ)が神生みの最後に火産霊(ほむすび)を産み、大火傷を負って病床についたとき、その大便から生まれたのが波邇夜須毘古神(はにやすびこ)と波邇夜須毘売神(はにやすびめ)です。
「ハニヤス」とは埴粘(はにやす)のことで、土器や瓦などの材料となる赤土の粘土を表す古語。
埴輪(はにわ)の「ハニ」と同じ意味です。
「ハニ」とは神聖なパワーを宿した「ニ(泥)」、つまり、神に捧げる神器や祭具をつくるためにとくに練り込んだ粘土という意味があるとされている。
榛名神社の魅力
日本の霊場に造られている数々の神社仏閣の中には、どうやって建設したのだろう?と思わせる建築物が多くあります。
群馬県榛名神社もまさにその一つ。榛名神社の表玄関、重厚な総門をくぐると、神秘の世界に誘われ、大杉の隙間から漏れてくる柔らかな木漏れ日を感じながら進むと歴史的建造物が次々に現れる。
瓶子の瀧で視界が広がり、石階段の参道を登るとあちこちに巨大岩が出迎えてくれ、双龍門・神楽殿・拝殿・幣殿・本殿へと続いていく。
神様の姿を現しているとも言われている御姿岩。
御神体が祀られている本殿は御姿岩の洞窟内に建てられているという事実に驚かされます。
樹齢400年の大杉に囲まれた神聖な空気感、苔むした岩肌や緑豊かな自然を感じながら、参拝できる榛名神社はなんとも魅力たっぷりな神社です。また季節を変えて訪れたいです。
コメント