天空の社の御朱印をいただきに群馬の妙義神社へ | さあ、出かけよう!パワースポットへ!!

天空の社の御朱印をいただきに群馬の妙義神社へ

天空の社の御朱印をいただきに群馬の妙義神社へ 群馬県
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荒々しい奇岩がそそりたつ上毛三山、日本三大奇景に位置する群馬県の妙義神社。遠景からは想像できない、きらびやかな社が鎮座している。。美しい彫刻の施された社殿と、高さ10メートルもの石垣、一の鳥居から一直線に伸びる石段の参道など見どころ満載!
基本情報
神社名: 妙義神社
住所 : 群馬県富岡市妙義町妙義6
電車 : JR高崎駅から信越線 松井田駅で下車。タクシーで10分。
車でのアクセス: 関越・上信越自動車道 松井田・妙義ICから5分 (駅の道みょうぎに無料駐車場あり)
御朱印受付時間:午前9:00~午後5:00
周辺おすすめスポット:妙義山パノラマパーク/中之獄神社/妙義ふれあいプラザもみじの湯/妙義ふるさと美術館
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妙義山とは

妙義山は白雲山・金洞山・金鶏山・相馬岳・御岳・丁須ノ頭・谷急山などを合わせた総称。赤城山、榛名山と共に上毛三山の一つ。南側の表妙義と北側の裏妙義に分かれている。

妙義山は火山活動で形成された 溶岩、凝灰岩、礫岩で出来ていて、堆積層が浸食され溶岩の岩体が露出したと考えられている。

荒々しい山容は日本三大奇景の一つである。紅葉の名所としても知られている。

妙義神社の御由緒・起源

妙義神社の創立は欽明天皇(539-571) の代と伝えられている。以前は、波己曽(はこそ)神社といい、『日本三代実録』(平安時代に編纂された歴史書)に記載がある。
「はこそ」とはすぐれた岩山を意味する。

中世までは上部の神域(青銅鳥居から上方)と下部の旧寺域が神仏習合として融合していた。

江戸時代は別当(神社を管理する寺)として上野寛永寺の末寺である白雲山高顕院石塔寺があった。
現在の総門は、明治の初めに廃寺となった石塔寺の仁王門である。当時石塔寺は末寺2ケ寺、専中3ケ寺、門徒7ケ寺を有していた。

明治時代に入り、神仏分離により石塔寺は廃寺となり、現在の妙義神社となる。

写真① 拝殿

本殿・幣殿・拝殿・唐門について

本殿、幣殿、拝殿は代表的な権現造りである。
本殿は、拝殿と共に黒漆塗銅茸入母屋造り。宝暦六年(1756)の建造。
唐門も宝暦六年(1756)の建造。

日光東照宮の彫刻師がここに来て彫りあげたとも伝えられている。周囲の彫刻(松に鳳風、松に雉の透彫、菊花葉の籠彫、鶴の彫刻、鷹ととんび、脇障子の竹林に七賢人、向拝の柱の根巻金具の彫刻等)の色彩や技術が素晴らしい。

鮮やかな色の透かし掘り彫刻

妙義神社境内案内

境内MAP

妙義神社の参道は県道に面した一の鳥居から御本社のある神域までほぼ一直線に延びている。
鳥居をくぐり急坂を上ると総門〈写真②〉があり、その先の石段を上がった右手側が旧寺域で、現在は社務所と御殿がある。

石段を上がると、どっしりと貫禄のある銅鳥居(下部は装飾がなされている)があり、鳥居をくぐると右手奥には旧御本社の波己曾(はこそ)社(明暦2年・昭和44年に上部神域より現在地に移築)が鎮座する。

銅鳥居〈写真③〉から参道を進み石造の太鼓橋を渡ると、一直線に伸びる165段の石段〈写真③〉が見えてくる。

登り切ったところに随神門〈写真④⑤〉があり、随神門をくぐると正面に石垣が現れ、ここで参道を左手に進むと右手に石段がある。

これを上ると唐門に至る。唐門をくぐった正面には拝殿、幣殿、本殿〈写真①〉からなる御本社が鎮座する。

写真② 上:総門 。 下:仁王像

三間二間単層切妻の大規模な門で、もとは白雲山石塔寺の仁王門であった。
安永二年(1773)の建造

上:波己曽社社殿(旧妙義神社社殿)  本殿、幣殿、拝殿からなる。明暦二年(1656)の建造

写真③  銅鳥居 ・ 灯篭

大鳥居の左側に推定樹齢500年の3本の大杉。この杉を結ぶ三角形の空間がパワースポットとして有名です。

写真④  右上 :石の参道 随神門

百六十五段の参道石段 NHK大河ドラマ「義経」で牛若丸が預けられる鞍馬山の撮影が行われた場所として有名になった。

 

狛犬。御朱印

天空の社

数ある神社の中で神社名(Myogizinzia)が小惑星の名前になっている神社は唯一群馬県の妙義神社のみ。
きっかけは妙義神社で開催されたシンセサイザーコンサートの聴衆の中にいたJAXA勤務の寺門邦次さんが、川島宮司に神社の名前を小惑星に付けませんか?と言った言葉から。

小惑星ハンター、渡辺和郎さんが発見した小惑星(直径5キロ、太陽の周りを約3・47年かけて1周する)に妙義神社の名前【Myogizinzia】が用いられ、国際天文学連合発行の「小惑星回報」に正式登録された。

小惑星限定御朱印を配布したらいいのになぁ。なんて思ってしまいますが、こちらでいただける御朱印は1種類となっています。

 

写真⑤ 左上:左大臣 ・ 右:右大臣  /左下:赤鬼  ・ 右下:青鬼(というか緑鬼・・)

コミカルな鬼に思わず笑ってしまった。ふんどしがイケている!

妙義神社 御祭神

豊受大神(トヨウケノオオカミ)

『古事記』では伊邪那美命(いざなみ)から生まれた和久産巣日神(わくむすび)の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に鎮座したと記されている。神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神である。

伊勢神宮外宮の社伝(『止由気宮儀式帳』)では、雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比治の真奈井(ひじのまない)にいる御饌の神、等由気太神(とゆけおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、外宮に祀るようになったとされている。

 

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記される。

第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。

古代の勇者・日本武尊は、戦前から戦中には神武天皇や神功皇后と言った日本神話の英雄と並んで国威発揚に用いられた時期があった。

菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇りつめた。

しかし謀反を計画したとして(昌泰の変)、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後怨霊と化したと考えられ、天満天神として信仰の対象となる
現在は学問の神として親しまれている

権大納言長親卿(ごんのだいなごんながちかきょう)

後醍醐天皇に仕えた権大納言長親卿は、現在の妙義神社の場所に住んでおり、奇岩の多い波己曽山の景色を「明々巍々めいめいぎぎなる山」として「明巍=めいぎ」と名付けたと言われている。

明巍(めいぎ)がのちに「妙義(みょうぎ)」に変化し、現在の名前になった。山と神社の名前の名付け親として祀られている。

高さ10mの石垣は江戸時代半ば妙義山に産する安山岩を用いて築かれたもの。
圧巻のスケールに目を奪われます。安土桃山から江戸時代の隙間なく積み上げる技術も素晴らしいですが、石垣が時代と共に
土地に馴染んでいる風情がまた絶妙で美しい

境内のあちこちに灯篭が。風雪を乗り越え佇んでいるんでいる灯篭。妙義山信仰の歴史を感じます

登山。ハイキングMAP

〒379-0201 群馬県富岡市妙義町妙義6

妙義神社公式サイト
妙義神社公式サイト 信仰と祈願の社 妙義神社 家内安全・商売繁盛・交通安全・合格祈願・良縁祈願・心願成就など
群馬県
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趣味で訪れた神社・仏閣・パワースポットをコラージュ形式で紹介するブログです。 自然や季節を感じ取れるブログにしたいので、観光で訪れた名所・旧跡・景色・花や木々などの写真も入れて紹介しています。
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